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升金の倉は長崎県島原市にある島原藩の倉をリノベーションした蔵カフェです。立派な松の一本樹の梁は外周1m60cm以上あり、釘を一切使わない造りは他に類を見ません。また、窓からは湊の海が一望でき、木の香りと潮風が郷愁を誘います。店内には年代物の箪笥や船具店時代の滑車やランプなどがあり、まるでタイムスリップしたかのようです。ごゆるりと、カフェタイムをお楽しみ下さい。

国指定有形登録文化財
県まちづくり景観資産登録

倉主あいさつ

たい引戸の向こうは不思議の世界でした。幼い頃、大きな梁は勿論の事、太い腕の様なロープや両手を広げても足りない翼のスクリュー、ところ狭しと並べられた船の部品を忍び込んでは眺めていたものです。

 半世紀あまりが往き、倉が私に託された時、このルーツを探してみたいという衝動が湧いてきたのです。そしてついに1枚の板(棟札)が驚きの事実と歴史の扉を開けてくれました。その板に名を連ねた藩の重臣方、棟梁達。また七百余人という加勢の人々。江戸からこの時まで、懸命に島原で生きてきた人々の姿を無駄にする事なく伝えていかなくてはなりません。

よくぞ残ってくれましたと松の柱を見上げて下さい。柱は勇気と誇りを注いでくれます。此処に在るのは、まぎれもなく島原の魂なのだと、もの言わぬ倉は物語ってくれるのです。

倉の歴史

に印された棟札には、「松平定勝」氏の名が印されています。彼は明治初頭の版籍奉還において第19代島原藩主、松平忠和公(江戸幕府第15代将軍徳川慶喜公の弟君)の命を受け、湊新地の築出しという島原藩最後の大事業を担った大老です。

元は島原藩が所有し、島原城下にあったとされる米蔵ですが、約140年前に島原発展のため、彼らの手によってこの地へ移り建てられたと言われています。

約130年前、倉は升金船具店が所有しました。この頃、港は急速に発展を遂げます。明治28年から升金本家は、口之津-島原-長洲に定期客船「升金丸」を走らせ、有明の海と島原半島の交通を支えてきました。

戦前より升金は石油商も営み、世は激動の時代へと移りゆきます。海鼠壁も落ち、この倉が誰によって建てられたのか話す者もいなくなりました。ただ、油入りのドラム缶の壁に囲まれた事で、松の梁は朽ちることはありませんでした。

店内ショップ

升金の倉内で島原の商品を販売してます。

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